自然食工房めぐみが生まれるまでの物語VOL3

自然食工房めぐみが生まれるまでの物語vol1

自然食工房めぐみが生まれるまでの物語VOL2

お読み頂いてありがとうございます。


前号までのあらすじ

私は小さい頃、お菓子類が食べれなかった。

すき焼きを食べると頭が痛くなった。

母は、「変な子ね。」と、言った。

私は頑張って、お菓子が食べられるようになった。

50歳ぐらいの頃に、母から、

「うちは糖尿病の家系だからね、あんたも気をつけなさいよ。」

と言われて、衝撃を受ける。



写真は5年前のもの。

今より7㎏も太っていました。




子供の頃から母は、とても私を愛していました。

これまでに、母から理不尽な扱いを受けた記憶はなく、

母は、いつも私を愛していました。



それは、88歳になる今も変わりなく、私を愛してくれています。

私の健康と、私の幸せと、私の家族に幸せを心の底から望んでいます。


未だに、私がお金に苦労していると、

自分の年金を節約して、私にまでお小遣いを渡そうとするくらい。


私の子供たちにも、沢山ご馳走してくれます。


母は、今でも、私達家族が行くと、

お寿司にオードブルに、お刺身にと、

食べきれないほどのご馳走を振る舞ってくれます。



私と私の家族が大好きだから。。。

愛に溢れた母の口から、







「うちは糖尿病の家系だから、あんたも気をつけなさいよ。」






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空いた口が塞がらない。




私はいったい何に気をつけたら良いんだろう?




母は昭和4年生まれ。

親とともに、幼いころ満州に渡り、敗戦でロシア軍に追われながら、

顔を炭で真っ黒にし髪の毛を丸坊主にして逃げた。

さっきまで泊まっていた学校の体育館が、ロシア軍に襲撃されたこともあった。

命かながら、奇跡的に、日本に戻ってこれた。


その後は親も失い、

自力で勉強して、看護師となり、74歳まで働いた。

88歳の今でも、一人暮らしで、毎日42段の階段を昇り降りして、

地域と交わりながら生活している。

立派な母。


子供とその家族が幸せになることを心から願っていながら、

この砂糖漬けの食事と、お菓子の山は何なのだろう?



そう言えは、母は熊本の出身なので、

「水俣の人たちは、妊娠しているお母さんや子供たちに、

栄養をつけさせたいからって、

とって来た魚をいっぱい食べさせて、水俣病になってしもたんよ。」

と、そんな話をしてくれたことがあった。


また、母の姪がカネミ油症の被害者だっところもあって、

「米油が身体に良いっていって、いっぱい油とりよったもんね。」

と、そんな話をしてくれたこともあった。



もっと栄養をつけさせたい、

元気でいて欲しい、

幸せに過ごして欲しい、そう思って、

選んだものの違いで人生が大きく変わってしまうこと。


愛しているから、美味しいものを食べさせたい。


そう思って選んだものが、人の身体を蝕んでいくとしたら、

何ともせつない。


自分の食べるものの判断を、他人に委ねるのはやめよう!

私は、私の感性に従って、自分の身体が欲しているものを食べよう!


今ならはっきりそう言えるけど、

50歳の私は、まだまだ暗中模索。


何を食べたら良いのか、

私の感性は、私に大切なことをちゃんと感じ取ってくれるのか?

全く分からず、モヤモヤしていました。



読んでいただき、ありがとうございます。



つづく。。。




備考>

今現在、

母とは、食事のことで話をすることは殆どありません。

母のところへいけば、相変わらずのおご馳走。


私は、少しだけ食べて、見えないように片付けます。


母は88歳の今でも、天ぷらを喜んで食べ、

土用の丑の日にはうなぎを食べる。


うちの息子達と一緒に、トンカツを食べる。


一緒にビールや日本酒を少しだけ飲んでご機嫌です。


小さい頃には、粗食で、終戦時には究極のファスティングを経験しているんですし、

天ぷらや鰻やトンカツが「美味しい」と言う88歳の母は、カッコイイと思います。


多分生涯、母とは食べ物の話は、しないと思います。


天ぷらや鰻やトンカツで元気な人もいれば、

玄米と野菜中心の食事で元気な人もいるという結論。



【公式】めぐみの杜ホームページ(旧自然食工房)

自然の恵みに感謝して 大切な家族にとびきり美味しい ご飯を食べてもらいたい 玄米や野菜の本当の美味しさに 出会った時のあの感動を 周囲の愛する人にも 食べてもらいたいと思い 健康を願う気持ちから 「めぐみ」は誕生しました

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