中学生の頃から、母が嫌いだった。
母は、自分の意見を押し通し、他人の話を聞かない。
自分の家族や親せきや近所の人や、周りの人を責める言葉をいつも発する。
私の事も否定する言動を繰り返し、認める事は無かった。
私の耳には、自分だけが世界中で一番正しいと言っているように聞こえた。
私は何をしても母から非難されているような気がして、
母と話をするのも嫌だった。
だからつい10年ほど前まで、
母を遠ざけて、出来るだけ合わないように生活してきた。
多分このまま、母と疎遠のまま生涯が終わるのだと漠然と思っていた。
心理学を少し学んだ時、
母との関係は、満たされなかった子供の頃の想いに繋がると知り、
母を許すことは、自分を許すことに繋がる。
母を受け入れることは、無条件の愛を受け取る事に繋がると知った。
理屈で分かっても、
それでも母を受け入れる事は出来なかった10年前。
知人の息子さん、偶然彼の18歳の誕生日の日にばったり会った。
「誕生日は、親に感謝する日ですよね。
僕もこれから親に産んでくれてありがとうって言ってきます。」
偶然にも、私の誕生日は明後日。
母にありがとうなんて、絶対言えない!
別に母に会いたいとも思わないし。
なんで、母に「産んでくれてありがとう」なんて言わなきゃいけないんだ!
と、無性に腹が立つし、イライラする。
でも、ほんの少しの時間の立ち話が、
ずっと心にひっかかり、
自分の誕生日になっても、モヤモヤしたまま。
結局、私は、私の誕生日の夜、20時ごろ、
当時高校生だった娘を連れて、
ケーキを持って、母の家を訪れた。
めったに行く事もなかったので、
突然の訪問に母も面食らっていた。
私が、
「今日は私の誕生日なんよ。
誕生日は親に感謝する日らしいよ。
一緒にケーキ食べる?」
と言うと、
母は突然、
「あなたにどうしても言っておきたい事がある。」
「私は、あなたを産んだ時、ホントに嬉しかった。
もう、どれほど嬉しかったか。。。
それだけを言っておきたかった。」
と言って、涙を流したのです。
(どうしても言いたい事ってそれだけ?)
と思いながらも、
私も娘も、ただただ涙を流していました。
この日を境に、母と私の関係は線路のポイントをカチッと切り替えたように、
心が通じ合える関係となったのでした。
もし、この日が無くて、
母と和解しないままの人生だったら、
私は未だに母の嫌なところばかりに目が行っていたと思います。
幼少時に苦労が多かった母の寂しさに気づくこともなく、
母からの無償の愛を知ることもなかったのです。
あの日が私の人生の大きな分岐点となったのでした。
もし、今、
親御さんとの関係で悩んでいる方がいたら、
少しでもヒントになれば幸せです。
0コメント